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小平市の歴史

小平の歴史は、旧石器時代の遺跡(鈴木遺跡)から発見された遺物によって知ることができます。かつて、この周辺には石神井川の源流があり、水源部を取り囲むように馬蹄形を成していた大規模な遺跡からは、10万点以上の石器が発見されています。なかでも、局部磨製石斧は貴重なものとされています。
承応3年(1654年)には玉川上水が開通し、これをきっかけとして水源が乏しかったこの地の本格的な開拓が始まりました。玉川上水から用水を引き、生活用水とすることで、江戸の近郊農村として発展していきました。明暦3年(1657年)、小川村が開拓されると、次々と新田開発が行われ、7つの新田村が形成されていきました。また、グリーンロード(狭山・境緑道)や桜の花のトンネルができると、多くの人が訪れるようになりました。
明治22年(1889年)には、7つの村が合併して、神奈川県北多摩郡小平村(多摩地域は4年後に東京府に編入)になりました。それまでの独立した農村の状態から、東京の近郊として、都市との関係を密接にしていったのは、大正12年(1923年)の関東大震災前後のころになります。震災前に、鉄道が開通され、土地会社の「学園都市計画」を目的とした分譲が行われたことは、その後の小平を大きく変化させるきっかけとなりました。交通の発達が商業的作物栽培への転換を可能にし、近郊農業化へ変化していき、震災以降は、東京の新市域拡張による新しい住宅地としての発展が進みました。
昭和15年(1940年)以降、負傷した軍人のための国立武蔵療養所などの公共施設や、集団住宅による人口の急増が著しくなりました。昭和19年(1944年)には、小平町となり、このときの人口は15,600人でした。軍施設では、陸軍兵器補給廠(しょう)小平分廠・陸軍技術研究所・陸軍電波物理研究所・陸軍経理学校などの大規模施設が建設され、それらの一部は、終戦後、国の施設や大工場などとして転用されました。その後、都心部のベッドタウン化や工場の誘致などにより、都市化が進み、昭和37年(1962年)に人口70,634人の小平市が誕生しました。
近年は、市民文化会館(ルネこだいら)がオープンするなど、地域文化の育つ環境が整いつつあります。また、玉川上水・野火止用水など、過去から受け継がれてきた豊かな自然環境を生かしながら、新しいまちづくりが進められています。

(小平市資料提供)
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